2010年12月10日金曜日

「はなわらフェス vol.2」報告

日朝友好愛知学生の会のシンです。

先日お知らせさせていただいた「はなわらフェス vol.2」ですが、
本当に多くのお客さんにお越しいただき、大成功でした!!

3時間のイベントで、計21697円が集まり、
名古屋朝鮮初級学校へカンパいたしました。

ご出演いただいたアーティストのみなさん、
お越しいただいたみなさん、
ゲストスピーチをしてくれたYくん、
そして、お忙しい中お越しいただいた校長先生、
ありがとうございました。

ぼくらの活動に興味をもってくれた日本人学生も遊びに来てくれ、
素敵なつながりができました。

今後も、音楽を通して、陰ながら、ウリハッキョを応援できたらと思います。


そして!

なんと早くも、次回の「はなわらフェス」の日程が決まりました!!

★はなわらフェス vol.3★
日時:2011年2月19日(土)
場所:名古屋今池HUCK FINN FACTORY

です。
詳細決まり次第、また宣伝させていただきます。
どうぞお越しください!


シン

2010年12月9日木曜日

2010年「歴史人権奨励賞」優秀賞を受賞★

いろいろ悩ましい出来事が多すぎて意気消沈してしまいそうな日々ですが・・・
「国家間」がぴりぴりしているときこそ、民衆が手をつながなくてはね!
「脅威」なんて言葉に踊らされずに、いま必要なことは何か?を考えて若者は活動しています!

そんなわけで、暗くなりがちな気分を少しでも明るくするために!今日はいいニュースをお知らせします♪

日朝友好愛知学生の会の今年度の活動の実績が、
在日朝鮮人歴史・人権月間全国実行委員会による2010年「歴史人権奨励賞」の優秀賞に選ばれました!


在日朝鮮人歴史・人権月間奨励賞とは、
21世紀を担うこれからの日本と在日の世代が過去の在日の歴史と現在の国際的な人権の趨勢を学ぶための、さまざまな活動を奨励します。
在日朝鮮人歴史・人権月間の趣旨にそった活動のうち、著しい成果を上げた青年学生団体に対して奨励賞を表彰します。
a.在日朝鮮人の過去の歴史に関する内容を正しく学び、知らせる活動
b.国際的な人権規範に基づく在日朝鮮人の権利擁護活動で、できるだけ2010年のテーマに関連するもの。


そんなわけで、11月12日に京都教育文化センターで行われた表彰式と活動報告、まとめの会に参加して、
わたしたちの2010年前期の活動報告や、取り上げられた新聞記事などを紹介しました~。


おなじく受賞した同志社大学KOREA文化研究会と強制連行真相究明サークルの報告に大いに刺激を受け、
これからも愛知で(小さいながらも地道に!)活動を続けていくエネルギーをもらいました!

詳しい当日の様子は・・・
平和フォーラム

朝鮮新報


今回優秀賞を受賞した同志社大学KOREA文化研究会主催の日朝関係史講座がタイミングよく開催されていたので、まとめの会終了後に同志社に向かい、日朝関係史講座(テーマ:尹東柱のいたころの同志社)に参加しました。
尹東柱がいたころ(1942~1943)の同志社大学は空気を読みまくって翼賛の方針に転換していた、という話だったのですが、同志社に限らず空気を読むことや世間の圧力に屈することを是とする風潮はぜんぜん過去の話になっていない現在進行形の話だよなぁ、とつくづく思ったのでした。

その後、留学同京都、日朝友好学生の会@京都のメンバーとともに伝説の「喫茶モナミ」で食事しました!
枕みたいに大きなオムライスを食べ(名物クリームフィッシュはまた今度食べに行きます~。)腹ごしらえをすませ、居酒屋に移動して深夜3時までしょうもない話(ときどき大事な話)をして、メンバー同士の交流も深めました♪

土曜日は立命館で開催された「南北コリアと日本のともだち展」を・・・二日酔い状態で・・・見に行ったのだけど、子どもたちの絵が本当によかった~!ひとりでも多くの人に見て欲しいので今後愛知でもやりたいと思います。

今回は24時間の滞在にもかかわらず盛りだくさんの京都訪問でした!お相手してくださったみなさんコマッスミダ~★

わたしたちのやっていることはほんとに小さなことだし、圧倒的な「空気」で吹き飛ばされそうになることもあるけれど、
空気を読まない(読んであえて「読まない行動」をおこす)ことを続けて行きたいですね~。

(さつき)

あなたのおこなう行動が、 ほとんど無意味だとしても、 それでもあなたは、それをやらなければなりません。 それは世界を変えるためにではなく、 あなたが世界によって変えられないようにするためにです。
―ムハトマ・ガンジー

2010年11月30日火曜日

「学祭の出店」を通じて日朝愛知を知ってもらおう!



やってまいりました!名古屋市立大学祭!!たくさん売ってやるぞー!!!
朝は留学同2回生のリチャンが、手伝えない代わりにとわざわざ荷物運びのために瀬戸から車を出してくれました。その恩恵は忘れません!
早速手作り感丸出しの看板をぶら下げ、下ごしらえ開始。学祭実行委員に渡された手袋は隅っこに追いやられたまま。大丈夫か?笑
ニンジンらしきものを切っているのは留学同4年のチャンムン。男の腕前を見せつけています。


試作会同様に、用意した具材や調味料をアバウトに入れていき、後は煮込むだけ。それでもなぜか、日朝愛知はマズいトッポッキを作れないのが不思議よねー。ふたを開けた瞬間…
キター!この何とも言えない朝鮮人らしい香り!左隣のサークルさんがホットケーキ売ってたんですけど、メープルの香りなんかふっ飛ばしましたよ。はたまた右隣にいた金魚たちは、この香りにやられてさぞかし腹を空かせたはず。


味見を終えた一行は、早速販売開始!「トッポッキいかがですかー」「おいしいですよー」
うむ、普通だなぁ。もっとカッコイイ言葉はないかなぁ。
「寒い冬には甘辛のトッポッキ!あったまるよー!」
おっ、いいぞ!お客さん来ました。高校生から車いすに乗ったおばあちゃんまでおいしそうに食べてくれます。その姿を見るだけで、自然とやる気が増してきます。
あれ?気が付いたらトッポッキ用の長細いお餅が足りない…急遽さつきさんに、自宅にあるストック分を自転車で取りに行ってもらい、なんとか閉店までトッポッキを販売差することができました。
1回生のソンファも、人数が少ない中でずっと調理を手伝うなど、本当によく働いてくれました。コマッスムニダ!
お客さんに気前よく商品を手渡しているのは、名市大学生のしんさんと留学同2回生のヨンボン。寒いのに薄手でがんばっています。
ところで、実をいうと、今回新たに取っておきの秘策を用意していました。さつきさんが提供してくれたゆず茶のもとで、満腹の方にもお勧めのゆず茶を同時販売したのです。そしたらかなりの高評価+100円という安さの影響で、瓶の中が空っぽになるまで売れました。さつき氏に万歳!!

すっかり日も暮れ、幸運にもトッポッキが完売した時点で売り上げを集計。なんと、今までの赤字を埋めても利益が出るほどの大健闘でした!みなさん本当にスゴハショッスムニダ!!

でも今回の最大の目標は、できる限り多くの方に日朝な活動を知っていただくこと。お店に寄ってくださった方全員に活動紹介のビラを配りました。まだ新たにアクセスがあったとの報告は聞いていませんが、これからの活動により一層力を入れるためにも、たくさんの方に興味を持っていただけるよう宣伝したいと思っています。全国の「日朝友好学生の会」メンバーのみなさん、朝鮮半島情勢は厳しさを増す一方ですが、これからもお互いに手を取り合ってがんばりましょう!!

そんお

2010年11月18日木曜日

お知らせ はなわらフェス vol.2

日朝友好愛知学生の会のシンです。

会としての企画ではないのですが、ぼくが個人的に企画した音楽イベントのお知らせです。

「日本人」という立場でウリハッキョ(朝鮮学校)を陰ながら応援したいという気持ちで企画しました。
趣旨に賛同してくれた日本人アーティストが出演します。

素敵なアーティストばかりですので、是非遊びに来てください!


★はなわらフェス vol.2★

日時:11月21日(日) 18時開場 18時半開演

場所:今池HUCK FINN FACTORY
   名古屋市千種区今池5-19-17 石井ビル
   http://www.huckfinnfactory.com/

出演:橋本進、田中外、唄灯、ひらやまやすし、Masayoshi Kawabe

▲入場自由・投げ銭▲
(集まった収益金は全額、名古屋朝鮮初級学校にカンパします)




シン

2010年10月31日日曜日

ある時は酒の肴、またある時は3時のおやつ!トッポッキ試作会!

日朝メンバー一同は、来る11/6(土)に開催される名市大の大学祭に向け、今月28日にトッポッキ試作会を行いました。
ちなみにトッポッキとは、朝鮮のお餅をコチュジャンや砂糖を使って甘辛く煮たもので、本国では屋台の定番メニューとなっているほど親しまれている一品料理です。
さあ長いそでをまくり、いざ、朝鮮料理を作るぞ!与えられたレシピ通り、かなりアバウトな分量で調味料を鍋の中に放り込んでゆく…さらにトッポッキ用の細長い餅と、ニンジン、玉ねぎ、白髪ねぎ、キャベツを盛り、グツグツと煮込んでいったのでした。いったいどんな味に仕上がるのやら…心配で心配で鍋から目を離せません。

そして、ついに日朝愛知特製トッポッキが完成!(味はまったくもって保証できないが…)

おっ!なかなかいい感じに仕上がってるではないか。どれどれ、早速みんなで味見を…。

…う、美味い!まさかあのアバウトな味付けがここまで本場の味に近づいていたとは!これはそこら辺の韓国料理屋顔負けですよ!みんな熱さと辛さのあまり絶えずハフハフ言いながら、その冷え切った体を火照らしたのでした。


というわけで、日朝愛知では11/6(土)、名古屋市立大学・桜山キャンパスで開催される大学祭にて、トッポッキの店を出店いたします!我が日朝メンバーがおいしいトッポッキを皆さんに提供しますので、時間が空いていれば…いや、空いていなくても、このトッポッキを食べる時間さえあればぜひお越しください!一同心よりお待ちしております。

2010年9月8日水曜日

遅くなりましたが…追慕祭とフィールドワークの報告!!

9月1日(水)、日差しがこれでもかと肌を刺すような猛暑の中、「冤死同胞慰霊碑」建立62周年記念追慕祭と、韓国併合100年に関係する場所を2ヶ所訪れるFWに行ってきました。


まずは追慕祭の様子から。
会場にはたくさんの在日同胞のほかに、衆議院議員や名古屋市議会委員、また映画「ヒロシマ・ピョンヤン」を制作されたフォトジャーナリストの伊藤孝司氏も見えて、やおよそ1時間ほどにわたり行われました。

愛知朝高生と一緒に後ろのテントの中でご挨拶の言葉を聞く日朝メンバー。
しかし暑かった…。
式の中で「冤死同胞慰霊碑」管理委員会委員長の姜明求さんからのメッセージが読まれ、その中で姜さんは、異国の地で犠牲になった同胞たちを厳かに追慕し、これからも在日同胞の地位獲得運動を展開し続けていくべきであるということを語られました。

追慕祭が終わり、わが日朝メンバーは近くにある日清戦争「第一軍戦死者記念碑」を訪れました。
さつきさんが用意してくれた資料を参考に記念碑をみると、高さは22m、周りには本物の砲弾が並べられていたことに一同ビックリ!
碑にはラッパやサーベル、ツルハシ、歩兵銃などのレリーフが施されており、戦死者の追悼に加えて戦争に向け士気を高めるために建てられたと言われているそうです。
最後に一行は、1923年に関東大震災の混乱の中、社会運動家・アナキストの大杉栄、妻の伊藤野枝とともに虐殺された甥の橘宗一くんのお墓へ。
残念ながら写真はありませんが、平らな岩に英語でMr.M.Tachibanaと書かれた墓で、かなり目立っていました。しかし発見される前は雑草に覆われていて、たまたま通りかかった人が不思議に思いその中をのぞいたおかげで発見されたそうです。
この墓の場所を知っているとかなりマニアックだとか…笑
今回は本当に貴重なフィールドワークでした。自分たちの地元に韓国併合100年にかかわるものがこんなにあったことに気づくだけでもとても勉強になったと思います。また日朝メンバーでいろんなところに足を運べたらと思います!ありがとうございました!
PS:下記のサイトに韓国併合100年の歴史にかかわる動画が見られますので、ぜひ覗いてみてください!
(そんお)

2010年8月24日火曜日

「寃死同胞慰霊碑」追慕祭とフィールドワーク


9月1日(水)に名古屋市覚王山の日泰寺で強制連行され命を奪われた方々を追悼する追慕祭が行われます。
追慕祭は毎年、碑の建立日の9月1日に行われています。

日朝友好愛知学生の会では植民地支配から現在までの100年の朝鮮半島と日本の歴史を振り返り、北東アジアの平和を考える時間になればと、この日にあわせてフィールドワークをおこないます。
日泰寺には1923年に関東大震災の混乱の中、社会運動家・アナキストの大杉栄、妻の伊藤野枝とともに虐殺された甥(大杉の妹・あやめの子)の橘宗一くん(当時7歳)のお墓もあり、9月16日が命日なので、こちらにもお参りし、当時の社会主義運動家に対する国家の思想弾圧と朝鮮との関係を学びたいと思います。

1910年に起こった大逆事件では、多くの日本の社会主義者やアナキストたちが国家に弾圧され殺されました。当時、日露戦争から韓国併合の流れに反対する社会主義者たちは日帝にとって不都合な存在であり、弾圧の対象となったのです。
大杉栄は大逆事件当時、別件で収監されており、取調べを受けるも嫌疑不十分で不起訴となり難を逃れますが、関東大震災の混乱時に日ごろから社会主義者を国家の害虫だと考えていた憲兵隊大尉甘粕正彦によって虐殺されてしまいます・・・。

「韓国併合」から100年、大逆事件から100年、朝鮮と日本の友好や平和を願う人々、朝鮮人と日本人がともに近代の歴史を学ぶフィールドワークにぜひご参加ください。
連絡先→nicchoaichi@gmail.com
追慕祭は午前11時から正午までですので、橘宗一少年のお墓参りをしてもお昼すぎには解散できると思います。

(さつき)

2010年8月20日金曜日

閑話休題


こうした活動をしているからでしょうか、朝鮮報道に対する知覚過敏ゆえでしょうか、耳に入るもの目に入るものにオッ!?と思うことがままあります。

さて、いよいよ8月25日、日朝友好学生の会訪朝団が出発します。政治家が何もできない・何もしない中、草の根の親善大使として訪朝してきます!余談ですがアントニオ猪木さんも近日訪朝予定のようです。

(ムーン)

2010年8月6日金曜日

久々利地下壕フィールドワークリポート

7月31日に「韓国併合100年」東海行動実行委員会の主催する地下壕フィールドワークに、日朝友好愛知学生の会のメンバーで参加してきました!

【久々利地下壕の概要】
岐阜県可児市の南山・柿下山にある久々利地下壕は、総延長7015mにも及ぶ県下第二の規模の地下壕で、三菱航空機の33の地下工場のうち最大規模のものです。
1944年4月から地形や地質の調査が行われ、12月25日から大林組(大阪本社)の指揮のもと掘削工事が始まりました。1945年8月15日の敗戦により工事が中断された時、全体の70%、2万5110㎡が掘られており、工作機械164台が据え付けられ8日間試運転が行われていました。
日本国男子の徴兵、徴募による戦時下の労働力不足を、「土地調査事業」によって自主渡航を余儀なくされたり、強制的に連れてこられた朝鮮人や中国人によって補いました。あらゆる資源が不足し十分でない栄養状態の中、連日の過酷で危険な労働状況で多くの犠牲者が出たことが予想されます。

可児市郷土館で地下壕研究会の方から説明をしていただきました。

FWの数日前に岐阜県は豪雨で、道が崩れてしまったのでバスではなく徒歩で移動しました。
柿下山のそばには壕内部から掘削された岩の廃棄場所があり、小高い台地のようになっていました。
(指し示している方角にありましたが写ってません。笑)



壕の内部にはいります・・・。入り口からすでに湿気と冷気が漂っています。



入り口からほど近い部分は高さ4.5mと非常に大きな穴が掘られています。
暗いのでライトで照らしましたが湿気がすごく、くもっていて異様な雰囲気です。


おおきな横穴を掘る際には上から掘り下げる「二段堀り工法」が行われます。
通常は上の穴を掘り終わってから下段に掘り下げるのですが、この地下壕では若干中心点をずらしながらも上下同時に掘削するという非常に危険な方法がとられています。
(一歩間違えれば崩れてしまい下で作業している人が生き埋めになってしまいます。)


先に進めば進むほど高さが低くなり、1.5mほどの横穴が続きます。
地面は水とどろでぐちゃぐちゃ、頭上は尖った岩もありヘルメットなしではとても危険です。
みんなかがんだ状態で進みます。


とろこどころに釘が打ち込まれていたり、ダイナマイト用の小さな横穴などが残っていました。


トロッコ用の枕木があったり(足元の棒のようなもの)、当時の作業の様子が生々しく残されています。

こんなに長大な壕を短期間に人力で掘り進めることがいかに過酷な労働であったか・・・。


ライトがないと壕の中は真っ暗です。


日朝友好愛知学生の会のメンバーがNHKから取材を受けました。
どのような番組になるのでしょうか・・・。


1945年の敗戦時の状態で時が止まった地下壕の内部では、戦況が悪化していく中で焦り狂気の只中にある日本の状況が肌で感じられました。
ただでさえ敗戦直前の日本の状況は苦しいものであったのに、朝鮮人や中国人はさらに劣悪な環境の中で危険で無謀な工事に従事させられ、短期間の突貫工事であれだけ広大な地下壕を作ることは想像を絶する過酷さだったと思います。
日本の侵略戦争を肯定し戦争責任を放棄する人達は、実際にこのような過酷な労働に従事しても「強制連行はなかった」「あったとしても人数は僅かだった」などと言えるのでしょうか。
加害性を「記録がないこと」で正当化し、当事者がいなくなることで問題が風化することを望んでいても、「事実」がある限りその記憶は継承されます。もうすぐ敗戦から65年が経過しますが、地下壕は風化することなく「日本の植民地支配や戦争責任の事実」をわたしたちに示していました。
わたしたちも「事実」に向き合い、積み残された問題に対して真摯に取り組んでいかなくてはならないと改めて考えました。
今回の企画者の東海行動実行委員会のみなさんと、詳細な案内や解説をしてくださった地下壕研究会のみなさん、ほんとうに貴重な経験となりました。ありがとうございました!

(さつき)

2010年7月31日土曜日

地下壕フィールドワーク&朝鮮学校祭り

今日は日朝友好愛知学生の会の有志メンバーで、「韓国併合100年」東海行動実行委員会主催の久久利地下壕フィールドワークに参加してきました。 企画したスタッフのみなさま、岐阜県地下壕研究会のみなさま、ありがとうございました!!
後日改めて参加メンバーが詳しい報告をします。

フィールドワーク後は、個人的に名古屋朝鮮初級学校の「トブローともに祭り2010」に参加。








招待していただいた初級学校のみなさんありがとうございます。

とてもとても楽しいお祭りでした。
何年かぶりにお会いできた先生もいらっしゃって感激。
オモニたちの屋台がおいしくて、1時間でビールとチューハイが4杯も進む。


こうして民族教育や仲間同士のつながりを守り続けている父母の姿を目の当たりにし、改めて日本国家による高校無償化からの朝鮮学校除外は断じて許すことのできない行為だと痛感した夜でした(もちろん無償化に限らずの話ですが)。





(しん)

2010年7月27日火曜日

大阪朝鮮高級学校運動場買戻しチャリティイベント

大阪朝鮮高級学校の運動場が東大阪市から明け渡しを求められ、市より訴訟を起こされましたが2009年11月に東大阪市の公益上の理由と大阪朝高生徒たちの学習権保障とを調整するため、勝利的和解を勝ち取りました!
しかし、運動場を大阪朝鮮学園が買い戻すという和解条件をクリアせねばならず、その額は1億4600万円と非常に高額です。

朝鮮学校は「各種学校」として扱われており、日本政府から公的な補助を受けることができません。
そのうえ高校無償化法から除外(留保)されたまま4ヶ月を経て、また橋本大阪府知事の朝鮮学校への差別的な補助金カットが行われるなど、大阪の朝鮮学校に子どもを通わせる父母への経済的な負担はとても重くなっています。
運動場の買戻し費用の負担を朝鮮人の父母だけに負担させてしまっていいのでしょうか?

朝鮮学校をとりまく問題は在日朝鮮人のみの問題ではありません。
このような政府の対応や橋本府知事のファシズムを許しているのはわたしたち「日本人」であり、子どもの教育の不平等をなくすために、日本人も朝鮮人もともに闘っていかなくてはいけません。

(さつき)


★井筒監督チャリティー・トークショー★

日時:7/29(木) 18:00開場 18:30開演
場所:エル・シアター(地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅、西へ300m)
チケット:1,000円(資料代)
主催:大阪朝鮮高級学校運動場買い戻しチャリティーイベント実行委員会
http://www.shimin-rentai.com/

2010年7月17日土曜日

ビラ配り

今日は、とある音楽イベント会場にて、日朝友好愛知学生の会が作成した高校無償化に関するビラを配り、アピールしてきます。
こういった若者が集まる場で、大きくアピールしていけたらと思います。

(しん)

2010年6月22日火曜日

ワールドカップ合同応援会リポート


「日朝友好!」なんて言おうものなら白眼視されてしまうこの日本において、敢えて空気を読まず日本人と在日朝鮮人がともに朝鮮を応援する、そんな場があってもいいのではないか。
サッカーの応援はいつもの学習系の「ううむ」と考えるような企画ではないものの、考えるより心動かす「何か」がときには価値観を大きく変えることもある
朝鮮の選手のプレーを観て、みんなで応援して、「何か」を感じてほしい!
「日朝友好」って簡単なことじゃないけれど、それを考えるきっかけは身近なところにいろいろあるはず。
その「いろいろ」をもっと大事にしたい。そんな思いで企画したこの応援会。

そしてなにより朝鮮がワールドカップに出場するのは44年ぶり、しかも愛知朝高出身の鄭大世選手が朝鮮代表のメンバーに!
こんな絶好の機会を「日朝友好愛知学生の会」としてみんなで応援しないでどうする!という注目度大の今大会。
初戦のブラジル戦も、すごかった。鄭大世の涙にも、朝鮮の選手の真摯な姿にも、ジーンとしました。
上手いとか強いとか、そんなわけではないけど、朝鮮のサッカーは人の心を打つ力があります。
そんなわけでポルトガル戦にも期待が高まり、手作りの朝鮮料理なんかも準備して気合い充分、さあ、応援だ!

うれしいことに今回の企画は「ネットでみて」、「友だちに誘われて」、と日本人の参加が多数ありました!
なんとはるばる東京からきてくださった方もあり、ほんとにこの企画やってよかった・・・!
各地の朝鮮学校などで数百人規模で応援会が開催されていたようですが、私たちの会場も小さいながら思いは熱かった!
日朝友好意識の芽生えは、少しずつですが、でも着実に広がっています。

高まる期待と興奮の中で迎えたポルトガル戦の結果は・・・とてもとても残念でしたが、あのときあの空間をともにした20余人の気持ちはひとつでした!

そして、世界の強豪相手に44年ぶりに奮闘している千里馬チョソンや鄭大世選手の姿から多くの勇気をもらいました。
日朝友好の運動も小さなことからこつこつと、信念をもって邁進し、いつの日か千里の路の先に友好の時代を築きます!


次回は「韓国併合100年」東海行動実行委員会主催のフィールドワークに参加させてもらいます。
・7月31日(土)10時~
・JR金山駅そばのダイエー前集合
・参加費一般2000円、学生1000円
定員20名 要申し込み!お問い合わせは日朝友好愛知学生の会まで、お気軽にどうぞ!
nicchoaichi@gmail.com

(さつき)

補足:応援会の記事が朝日新聞(6月22日愛知県版社会面)に写真つきで掲載され、日朝友好を願う若者がいるということをババンとPRできました!わーい★

2010年6月14日月曜日

朝鮮新報に掲載されました★

5月15~16日の金沢スタディーツアーの記事が朝鮮新報に掲載されました。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/01/1001j0614-00001.htm


「愛知学生の会」 金沢でスタディーツアー

朝・日関係史をたどる

 「日朝友好愛知学生の会」主催の「金沢スタディーツアー」が5月15~16日に行われ、学生と日本市民ら約20人が参加した。ツアーは、「韓国併合」100年となる節目の年に金沢に残る朝鮮半島と日本の関係を示す史跡をたどり、その関係史を学ぶ目的で行われたもので、北陸大学の田村光彰教授が案内を務めた。

 一行は初日、朝鮮戦争時、砲弾の性能を確認するために設置された米軍内灘試射場跡を見学した。当時、基地の建設を巡り地元住民が大規模な反対闘争を繰り広げた「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人が合流したという記録が残っている。

 続いて一行は、石川護国神社内にある「大東亜聖戦大碑」を見学した。この碑は2000年8月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」するもので、「有志」らによって建立されたもの。裏面の文にはアジア侵略の事実を否定、美化する内容で一貫している。

 兼六園を見て回った後、総連石川県本部で田村教授の講演と懇親会が行われ、初日目の日程を終えた。

 2日目は、1932年4月29日に日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑された尹奉吉義士を追悼する碑を訪れた。

 田村教授は、「日本では、尹奉吉は安重根同様『テロリスト』と言われているが決してそうではない。彼の義挙がアジアに多くの希望を与えたのは事実だ」と述べながら、南からの観光客も多く訪れるようになった碑を建立し守ってきた故朴仁祚さんの功績は大きいと話した。

 次に一行は、額谷軍需工場跡を見学した。

 同工場は江戸時代からの石切り場で、第2次世界大戦終結間際に三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として軍需工場に改造されたもので、工事には多くの朝鮮人と学徒が動員された。工場跡は深い山中にあり、規模も大きなことから過酷な労働を強いられたことが想像できるが、稼動することなく「終戦」を迎えた。

 一行は最後に、兼六園の近くにある玉泉園を見学した。

 参加者たちは、スタディーツアーを通じて、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを再確認することができたと述べながら、これからの関係を考えていくうえで示唆に富んだ貴重なものだったと口をそろえた。【留学同東海】

[朝鮮新報 2010.6.14

2010年6月12日土曜日

イギョラ!千里馬チョソン★ワールドカップ合同応援会

今年のワールドカップは、44年ぶりに朝鮮が出場します!
44年前に初出場でありながらも”W杯史上最大の番狂わせ”でイタリアを下し、決勝トーナメントに出場した朝鮮。
トーナメント戦ではあえなくポルトガルに惜敗しましたが、今回のポルトガル戦で44年越しの雪辱を果たせるか!?
この見逃せない試合、ぜひ大型スクリーンで観戦しよう!


【日時】
2010年6月21日(月) 19時オープン(20時30分キックオフ)

【会場】
名古屋コリアンスクール(名古屋市千種区豊年町8-23)
※地下鉄東山線千種駅3番出口からJR線路沿いの道を北上(大曽根方面)徒歩12分

【入場料】
500円(チラシご持参の方にドリンク1杯サービス!)
※会場ではドリンクや軽食を販売します。飲んで食べてわいわい応援しよう!

当日は会場でワールドカップオリジナル応援グッズの「限定タオルマフラー」(1500円)も販売します★

(さつき)

2010年6月4日金曜日

野宿を強いられている人々を取りまく問題についての学習会


6月3日(木)に金沢スタディーツアーの報告会と、3回目の学習会を開催しました!


ツアー参加者のわたくしさつきが金沢でのツアーの様子を写真をまじえて報告したあと、
今回はいつもとは趣向を変えて、「野宿を強いられている人々を取りまく問題について」という内容で、日本人メンバーのしんくんが4年間の夜まわり活動をとおして見えてきたことを話してくれました。


日本と朝鮮の間に横たわる100年の歴史、その歴史のねじれの中でうまれた在日朝鮮人を取りまく問題を考え「真の日朝友好」を築いてゆくには、ものごとを多角的に見る目が必要です。
今回の学習会のテーマは一見無関係に見えますが、日本社会(を構成しているわたしたち)の未熟さや排除性、そこからうみだされてしまう野宿・路上生活を強いられてしまう人たちを取りまく問題について考えることは、じつは日朝友好と無関係ではありません。
日常の中であらゆる形となって現れる「排除」に気付くこと、ともすれば簡単に「支配・分断・細分化されてしまう」システムの中を自律的に生き、連帯の意識を持つことはどんな社会問題を考えるときにも必要な感性です。


そんなこんなでムムムと唸りながらの学習会のあとは、ちかくの台湾料理屋で乾杯!
間近に控えたW杯の話題から、なぜか「ヘディングを失敗するとのどちんこがカユくなる」というクダラナイ話で盛り上がり、真面目一徹でなくそんな話もできる(むしろそっちのほうが多い?)日朝友好愛知学生の会の多様性とゆるさ、だけどじつは真剣、っていいなあ、としみじみ感じました。


興味のある方は学習会やイベントに、お気軽にご参加ください。ほんと、楽しいですよ♪
メールでのお問い合わせもお気軽にどうぞ。
nicchoaichi@gmail.com


(さつき)

2010年5月25日火曜日

金沢スタディーツアーリポート

 51516日の「金沢スタディーツアー」のリポートです!
 5月の晴れやかな空のもと、参加者一行は早朝7時半に名古屋を出発!

日朝友好愛知学生の会主催企画第2弾の企画金沢スタディーツアーは、朝鮮植民地支配から100年となる歴史的な年に、日本と朝鮮半島の関係史を学ぶことを目的に、金沢に残る日本と朝鮮半島の関係を示す史跡を辿りました。

2日間に渡るツアーを案内し、講義も行ってくださった北陸大学の田村光彰教授です。

石川県到着後、まず内灘町の内灘海岸に残る米軍内灘試射場跡を見学しました。

ここは、朝鮮戦争時、米軍が使用するために日本国内で生産された砲弾の性能を確認するための試射場が設置されたところで、試射場建設をめぐって内灘住民(しかもその多くは男性が漁に出ている間におもに村で生活を守っていた女性たち!)が体を張った座り込みを行い、鉄道会社の労働者たちは資材運搬のストライキを行うなど、多くの人がそれぞれの立場で生活をかけての反対闘争をくり拡げました。この日本初の大規模反戦闘争である「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人も、主体的問題としてこの闘争に加わり、また、座り込みをする人々を勇気づけるため朝鮮民族楽器を演奏するなど、様々な形で合流したという記録が残っています。現在は景勝地として有名な内灘海岸には、当時の名残として、今ではひっそりと観測所跡などが残っていました。

内灘砂丘で強風と砂にさらされながら車座になり昼食をとったあと、石川護国神社境内にある「大東亜聖戦大碑」を見学しました。

この碑は、20008月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」する碑として「有志」によって建立されたものです。この碑の裏面には大きく「八紘為宇」というかつての日帝のスローガンが大きく刻まれており、これはアジア侵略の事実を否定・美化するとともに、戦争被害者やその遺族の思いを省みず、侵略戦争を肯定するというもので、碑の設置を巡っては多くの異論が起こりました。この碑には多くの「賛同者・賛同団体」が刻印されていますが、中には朝鮮出身の特攻隊員や特攻兵たちのほか「少女ひめゆり学徒隊」や「少年鉄血勤皇隊」、「水戸市立五軒小学校」など、当事者に無断で刻印したものもあるということです。

次に一行は観光名所兼六園にいきました。園内にある朝鮮に所縁のあるという説(学術的には由来が比定されていません)があった海石塔を見学しました。

 その後、高麗文化会館にて田村教授による「日本の『戦後責任』を考える」と題した講義と、懇親会が開催されました。

講義では日本が敗戦後、戦争・戦後責任を果たすことなく、未だ植民地主義が克服されていないという視点から、日本が真の平和国家となるために果たすべき課題とはなにかが具体的に提示されました。

懇親会ではツアー参加者以外にも様々な方が参加され、意見交換や交流が活発に行われました。

なんとここでは田村教授の絶品手作りクリームシチューがふるまわれました!

(その後の宿舎での交流ディスカッションは明け方5時近くまで繰り広げられることになりました・・・!)

1日目のハードスケジュールにもかかわらず、まったく勢いが衰えることなく2日目に突入し、朝9時のさわやかな空気のなかで、一行は野田山の「尹奉吉義士暗葬之地」へと向かいました。尹奉吉は1932429日、日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑されました。尹奉吉は安重根と同じく日本では『テロリスト』になりますが、決してそうではなく、彼の義挙が、アジアに多くの希望を与えました。ここは、解放後、在日朝鮮人有志によって、処刑された尹奉吉義士の遺骨が発掘され、碑が建てられた場所です。「残念ながら、遺骨発掘、碑の建設と維持に尽力した朴仁祚さんが最近亡くなられたが、今では韓国からの観光者も多く来訪するこの場所を守ってこられた功績は極めて大きい」と、田村教授が解説されました。

次に一行は、「額谷軍需工場跡」へと向かいました。ここはマイクロバスでは通れないほどの狭い山道の先にあるのですが、現地の有志の方々が乗用車を準備してくださり、目的地まで分乗して行くことができました。

 ここは、今では「額谷石切場跡」として知られているように、江戸時代から生活用の石材採掘の場でしたが、第二次大戦終結直前、三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として突貫工事で軍需工場に改造された場所であり、この工事には多くの学徒、朝鮮人が動員されました。機材の移動だけでもその労力は想像を絶するのですが、内部の大きさも長大で、工事がいか
に過酷な労働であったか想像できました。この工場は、始動することなく「終戦」を迎えたそうです。

最後に訪れた史跡は、兼六園の近くにある「玉泉園」です。ここは、加賀藩士・脇田直賢から4代に渡って作庭された庭園ですが、この脇田直賢とは、1592年の秀吉の朝鮮侵略、いわゆる文禄の役(壬辰倭乱)において、宇喜多秀家と戦い戦死した翰林学士・金時省の遺児・金如鉄であり、そのまま日本に連行された後に加賀藩士になるという来歴があります。この庭園には樹齢330年以上の大きな朝鮮五陽松が植樹されているのですが、彼はどのような思いで作庭したのか、参加者は思いを馳せました。

今回のツアーは学生だけでなく一般からも多数参加され、参加者からは、「金沢を通して、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを自分の目で見て再確認することができた。これからの朝鮮半島と日本の関係を考えるうえで、示唆に富んだ貴重なツアーだった」などの感想があり、とても有意義なものになりました。

次回の企画は621日のワールドカップ合同応援会です!

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みなさん一緒に盛り上がりましょう!

(さつき)