2010年12月10日金曜日
「はなわらフェス vol.2」報告
2010年12月9日木曜日
2010年「歴史人権奨励賞」優秀賞を受賞★


2010年11月30日火曜日
「学祭の出店」を通じて日朝愛知を知ってもらおう!
やってまいりました!名古屋市立大学祭!!たくさん売ってやるぞー!!!
朝は留学同2回生のリチャンが、手伝えない代わりにとわざわざ荷物運びのために瀬戸から車を出してくれました。その恩恵は忘れません!
早速手作り感丸出しの看板をぶら下げ、下ごしらえ開始。学祭実行委員に渡された手袋は隅っこに追いやられたまま。大丈夫か?笑
ニンジンらしきものを切っているのは留学同4年のチャンムン。男の腕前を見せつけています。
1回生のソンファも、人数が少ない中でずっと調理を手伝うなど、本当によく働いてくれました。コマッスムニダ!
すっかり日も暮れ、幸運にもトッポッキが完売した時点で売り上げを集計。なんと、今までの赤字を埋めても利益が出るほどの大健闘でした!みなさん本当にスゴハショッスムニダ!!
でも今回の最大の目標は、できる限り多くの方に日朝な活動を知っていただくこと。お店に寄ってくださった方全員に活動紹介のビラを配りました。まだ新たにアクセスがあったとの報告は聞いていませんが、これからの活動により一層力を入れるためにも、たくさんの方に興味を持っていただけるよう宣伝したいと思っています。全国の「日朝友好学生の会」メンバーのみなさん、朝鮮半島情勢は厳しさを増す一方ですが、これからもお互いに手を取り合ってがんばりましょう!!
そんお
2010年11月18日木曜日
お知らせ はなわらフェス vol.2
場所:今池HUCK FINN FACTORY
名古屋市千種区今池5-19-17 石井ビル
http://www.huckfinnfactory.
(集まった収益金は全額、名古屋朝鮮初級学校にカンパします)
2010年10月31日日曜日
ある時は酒の肴、またある時は3時のおやつ!トッポッキ試作会!



2010年9月8日水曜日
遅くなりましたが…追慕祭とフィールドワークの報告!!

会場にはたくさんの在日同胞のほかに、衆議院議員や名古屋市議会委員、また映画「ヒロシマ・ピョンヤン」を制作されたフォトジャーナリストの伊藤孝司氏も見えて、やおよそ1時間ほどにわたり行われました。

しかし暑かった…。


この墓の場所を知っているとかなりマニアックだとか…笑
2010年8月24日火曜日
「寃死同胞慰霊碑」追慕祭とフィールドワーク

日朝友好愛知学生の会では植民地支配から現在までの100年の朝鮮半島と日本の歴史を振り返り、北東アジアの平和を考える時間になればと、この日にあわせてフィールドワークをおこないます。
日泰寺には1923年に関東大震災の混乱の中、社会運動家・アナキストの大杉栄、妻の伊藤野枝とともに虐殺された甥(大杉の妹・あやめの子)の橘宗一くん(当時7歳)のお墓もあり、9月16日が命日なので、こちらにもお参りし、当時の社会主義運動家に対する国家の思想弾圧と朝鮮との関係を学びたいと思います。
1910年に起こった大逆事件では、多くの日本の社会主義者やアナキストたちが国家に弾圧され殺されました。当時、日露戦争から韓国併合の流れに反対する社会主義者たちは日帝にとって不都合な存在であり、弾圧の対象となったのです。
大杉栄は大逆事件当時、別件で収監されており、取調べを受けるも嫌疑不十分で不起訴となり難を逃れますが、関東大震災の混乱時に日ごろから社会主義者を国家の害虫だと考えていた憲兵隊大尉甘粕正彦によって虐殺されてしまいます・・・。
「韓国併合」から100年、大逆事件から100年、朝鮮と日本の友好や平和を願う人々、朝鮮人と日本人がともに近代の歴史を学ぶフィールドワークにぜひご参加ください。
2010年8月20日金曜日
閑話休題
2010年8月6日金曜日
久々利地下壕フィールドワークリポート
【久々利地下壕の概要】
岐阜県可児市の南山・柿下山にある久々利地下壕は、総延長7015mにも及ぶ県下第二の規模の地下壕で、三菱航空機の33の地下工場のうち最大規模のものです。
可児市郷土館で地下壕研究会の方から説明をしていただきました。
ただでさえ敗戦直前の日本の状況は苦しいものであったのに、
2010年7月31日土曜日
地下壕フィールドワーク&朝鮮学校祭り
後日改めて参加メンバーが詳しい報告をします。
フィールドワーク後は、個人的に名古屋朝鮮初級学校の「トブローともに祭り2010」に参加。

招待していただいた初級学校のみなさんありがとうございます。
とてもとても楽しいお祭りでした。
何年かぶりにお会いできた先生もいらっしゃって感激。
オモニたちの屋台がおいしくて、1時間でビールとチューハイが4杯も進む。
こうして民族教育や仲間同士のつながりを守り続けている父母の姿を目の当たりにし、改めて日本国家による高校無償化からの朝鮮学校除外は断じて許すことのできない行為だと痛感した夜でした(もちろん無償化に限らずの話ですが)。
(しん)
2010年7月27日火曜日
大阪朝鮮高級学校運動場買戻しチャリティイベント
日時:7/29(木) 18:00開場 18:30開演
場所:エル・シアター(地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅、西へ300m)
チケット:1,000円(資料代)
主催:大阪朝鮮高級学校運動場買い戻しチャリティーイベント実行委員会
http://www.shimin-rentai.com/
2010年7月17日土曜日
ビラ配り
こういった若者が集まる場で、大きくアピールしていけたらと思います。
(しん)
2010年6月22日火曜日
ワールドカップ合同応援会リポート
「日朝友好!」なんて言おうものなら白眼視されてしまうこの日本において、敢えて空気を読まず日本人と在日朝鮮人がともに朝鮮を応援する、そんな場があってもいいのではないか。
2010年6月14日月曜日
朝鮮新報に掲載されました★
5月15~16日の金沢スタディーツアーの記事が朝鮮新報に掲載されました。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/01/1001j0614-00001.htm
「愛知学生の会」 金沢でスタディーツアー
朝・日関係史をたどる
「日朝友好愛知学生の会」主催の「金沢スタディーツアー」が5月15~16日に行われ、学生と日本市民ら約20人が参加した。ツアーは、「韓国併合」100年となる節目の年に金沢に残る朝鮮半島と日本の関係を示す史跡をたどり、その関係史を学ぶ目的で行われたもので、北陸大学の田村光彰教授が案内を務めた。
一行は初日、朝鮮戦争時、砲弾の性能を確認するために設置された米軍内灘試射場跡を見学した。当時、基地の建設を巡り地元住民が大規模な反対闘争を繰り広げた「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人が合流したという記録が残っている。
続いて一行は、石川護国神社内にある「大東亜聖戦大碑」を見学した。この碑は2000年8月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」するもので、「有志」らによって建立されたもの。裏面の文にはアジア侵略の事実を否定、美化する内容で一貫している。
兼六園を見て回った後、総連石川県本部で田村教授の講演と懇親会が行われ、初日目の日程を終えた。
2日目は、1932年4月29日に日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑された尹奉吉義士を追悼する碑を訪れた。
田村教授は、「日本では、尹奉吉は安重根同様『テロリスト』と言われているが決してそうではない。彼の義挙がアジアに多くの希望を与えたのは事実だ」と述べながら、南からの観光客も多く訪れるようになった碑を建立し守ってきた故朴仁祚さんの功績は大きいと話した。
次に一行は、額谷軍需工場跡を見学した。
同工場は江戸時代からの石切り場で、第2次世界大戦終結間際に三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として軍需工場に改造されたもので、工事には多くの朝鮮人と学徒が動員された。工場跡は深い山中にあり、規模も大きなことから過酷な労働を強いられたことが想像できるが、稼動することなく「終戦」を迎えた。
一行は最後に、兼六園の近くにある玉泉園を見学した。
参加者たちは、スタディーツアーを通じて、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを再確認することができたと述べながら、これからの関係を考えていくうえで示唆に富んだ貴重なものだったと口をそろえた。【留学同東海】
[朝鮮新報 2010.6.14]
2010年6月12日土曜日
イギョラ!千里馬チョソン★ワールドカップ合同応援会
2010年6月4日金曜日
野宿を強いられている人々を取りまく問題についての学習会
6月3日(木)に金沢スタディーツアーの報告会と、3回目の学習会を開催しました!
ツアー参加者のわたくしさつきが金沢でのツアーの様子を写真をまじえて報告したあと、
今回はいつもとは趣向を変えて、「野宿を強いられている人々を取りまく問題について」という内容で、日本人メンバーのしんくんが4年間の夜まわり活動をとおして見えてきたことを話してくれました。
日本と朝鮮の間に横たわる100年の歴史、その歴史のねじれの中でうまれた在日朝鮮人を取りまく問題を考え「真の日朝友好」を築いてゆくには、ものごとを多角的に見る目が必要です。
今回の学習会のテーマは一見無関係に見えますが、日本社会(を構成しているわたしたち)の未熟さや排除性、そこからうみだされてしまう野宿・路上生活を強いられてしまう人たちを取りまく問題について考えることは、じつは日朝友好と無関係ではありません。
日常の中であらゆる形となって現れる「排除」に気付くこと、ともすれば簡単に「支配・分断・細分化されてしまう」システムの中を自律的に生き、連帯の意識を持つことはどんな社会問題を考えるときにも必要な感性です。
そんなこんなでムムムと唸りながらの学習会のあとは、ちかくの台湾料理屋で乾杯!
間近に控えたW杯の話題から、なぜか「ヘディングを失敗するとのどちんこがカユくなる」というクダラナイ話で盛り上がり、真面目一徹でなくそんな話もできる(むしろそっちのほうが多い?)日朝友好愛知学生の会の多様性とゆるさ、だけどじつは真剣、っていいなあ、としみじみ感じました。
興味のある方は学習会やイベントに、お気軽にご参加ください。ほんと、楽しいですよ♪
メールでのお問い合わせもお気軽にどうぞ。
nicchoaichi@gmail.com
(さつき)
2010年5月25日火曜日
金沢スタディーツアーリポート
日朝友好愛知学生の会主催企画第2弾の企画金沢スタディーツアーは、朝鮮植民地支配から100年となる歴史的な年に、日本と朝鮮半島の関係史を学ぶことを目的に、金沢に残る日本と朝鮮半島の関係を示す史跡を辿りました。
2日間に渡るツアーを案内し、講義も行ってくださった北陸大学の田村光彰教授です。
石川県到着後、まず
ここは、朝鮮戦争時、米軍が使用するために日本国内で生産された砲弾の性能を確認するための試射場が設置されたところで、試射場建設をめぐって内灘住民(しかもその多くは男性が漁に出ている間におもに村で生活を守っていた女性たち!)が体を張った座り込みを行い、鉄道会社の労働者たちは資材運搬のストライキを行うなど、多くの人がそれぞれの立場で生活をかけての反対闘争をくり拡げました。この日本初の大規模反戦闘争である「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人も、主体的問題としてこの闘争に加わり、また、座り込みをする人々を勇気づけるため朝鮮民族楽器を演奏するなど、様々な形で合流したという記録が残っています。現在は景勝地として有名な内灘海岸には、当時の名残として、今ではひっそりと観測所跡などが残っていました。
内灘砂丘で強風と砂にさらされながら車座になり昼食をとったあと、石川護国神社境内にある「大東亜聖戦大碑」を見学しました。
この碑は、2000年8月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」する碑として「有志」によって建立されたものです。この碑の裏面には大きく「八紘為宇」というかつての日帝のスローガンが大きく刻まれており、これはアジア侵略の事実を否定・美化するとともに、戦争被害者やその遺族の思いを省みず、侵略戦争を肯定するというもので、碑の設置を巡っては多くの異論が起こりました。この碑には多くの「賛同者・賛同団体」が刻印されていますが、中には朝鮮出身の特攻隊員や特攻兵たちのほか「少女ひめゆり学徒隊」や「少年鉄血勤皇隊」、「
次に一行は観光名所兼六園にいきました。園内にある朝鮮に所縁のあるという説(学術的には由来が比定されていません)があった海石塔を見学しました。
講義では日本が敗戦後、戦争・戦後責任を果たすことなく、未だ植民地主義が克服されていないという視点から、日本が真の平和国家となるために果たすべき課題とはなにかが具体的に提示されました。
懇親会ではツアー参加者以外にも様々な方が参加され、意見交換や交流が活発に行われました。
なんとここでは田村教授の絶品手作りクリームシチューがふるまわれました!
(その後の宿舎での交流ディスカッションは明け方5時近くまで繰り広げられることになりました・・・!)
1日目のハードスケジュールにもかかわらず、まったく勢いが衰えることなく2日目に突入し、朝9時のさわやかな空気のなかで、一行は野田山の「尹奉吉義士暗葬之地」へと向かいました。尹奉吉は1932年4月29日、日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑されました。尹奉吉は安重根と同じく日本では『テロリスト』になりますが、決してそうではなく、彼の義挙が、アジアに多くの希望を与えました。ここは、解放後、在日朝鮮人有志によって、処刑された尹奉吉義士の遺骨が発掘され、碑が建てられた場所です。「残念ながら、遺骨発掘、碑の建設と維持に尽力した朴仁祚さんが最近亡くなられたが、今では韓国からの観光者も多く来訪するこの場所を守ってこられた功績は極めて大きい」と、田村教授が解説されました。
次に一行は、「額谷軍需工場跡」へと向かいました。ここはマイクロバスでは通れないほどの狭い山道の先にあるのですが、現地の有志の方々が乗用車を準備してくださり、目的地まで分乗して行くことができました。
最後に訪れた史跡は、兼六園の近くにある「玉泉園」です。ここは、加賀藩士・脇田直賢から4代に渡って作庭された庭園ですが、この脇田直賢とは、1592年の秀吉の朝鮮侵略、いわゆる文禄の役(壬辰倭乱)において、宇喜多秀家と戦い戦死した翰林学士・金時省の遺児・金如鉄であり、そのまま日本に連行された後に加賀藩士になるという来歴があります。この庭園には樹齢330年以上の大きな朝鮮五陽松が植樹されているのですが、彼はどのような思いで作庭したのか、参加者は思いを馳せました。
今回のツアーは学生だけでなく一般からも多数参加され、参加者からは、「金沢を通して、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを自分の目で見て再確認することができた。これからの朝鮮半島と日本の関係を考えるうえで、示唆に富んだ貴重なツアーだった」などの感想があり、とても有意義なものになりました。
次回の企画は6月21日のワールドカップ合同応援会です!
http://niccho-aichi.blogspot.com/2010/01/blog-post.html
みなさん一緒に盛り上がりましょう!
(さつき)